彼はまだ死んでいないよというのはきれいな言葉ですが、そんなことはないだろうと私は思うのだ。死は、死だよ。その作った歌が音楽がひとの心に残ろうと、そのときの感動が多数の心に残っていようと、そのひとは死んでしまって、もう二度とあの歌声を生で聞けず、新作を聞くこともできず――だからなんなのというわけじゃなく「死んでないよ」という言葉は私にはなんだかとても遠いだけ。そして、ひとりの個人の死ではなく、英雄の死として、多数のファンたちに弔わられる、そのことがちょっと切ないと思うだけ。おうちから出棺したときに空に虹がふたつ出たって、最期の最期まで、やってくれるなあと思った。さすがだよボス。キング。ゴッド。それはもう最高の演出。本当に好きになって良かったよ、あなたの音を。
三宅さんが、とあるライヴでひとりで「雨上がりの夜空に」をやったのだという、とある方のブログの文章を読んで、きゅうううんとなった。
そういう形での「ボスの気持ちは自分のなかに残ってるよ」という、そういうのは素直に信じられる。だからボスの音を聞いて育ったたくさんの日本のロック少年少女たちが、リレーのバトンのように、ボスからもらった「なにか」を携えて走って行く姿はずっと追いかけたいと思うし、そういう部分での「魂は死なない」はわかる気がする。もう二度と会えない。でもバトンを携えて、三宅くんが走ってくれてんだなあ、と。他にもたくさんのひとが。そして個人の遺伝子のバトンはお子さんたちが。でもそのバトンを渡されたっていうねそのことがすでにして「死」の事実。


湿っぽいすな。


空気的にも雨降りつづきで湿気てます。


靴下が破れてしまって、買って補てんしなくちゃとかー、髪がのびていって邪魔なので、まとめるためのシュシュとかヘアクリップとか新しく買いたいなーとか、生活してると欲しいものがこまごまとわんさか増えていくのだなー。


本日も仕事だ。コツコツと。