ピラミッド型構造が嫌い。
他人と比べて自分はという考えも基本は嫌い。
でも子どものときの運動会の徒競走はあって欲しいし、学芸会で全員がモモタロウになりモモタロウ二十人大活躍総主役なんてアホだと思うし、学業においては偏差値があって当然と思うし、子ども時代にあらゆる挫折の雛形は感じとっておけと思う。サル山のサルのように君臨するサルと押しのけられるサル社会をガキどもはたんと味わえと思う。そして反乱する喜びを知るとよかろうと思う。ガキのサル山は破綻するものだ。
なにが得意でなにが不得意でなにが好きでなにが嫌いかを知った結果、育って大人になったときには、社会ピラミッド構造思想から抜け出せと思う。まあ思想として抜け出したところで金もなければ地位もないので現実はつらく重く苦しいときもあるかもしれんが、テッペン付近にいたって特にとりたてて幸福ってわけでもなかろう。
自分が幸福であり、充足し、満ちていれば、傍からどう見えようと、どうであろうと、圧倒的に幸福なわけで。

サバイバルナイフやレンタカーや歩行者天国なんかも規制なんてオラにはできないし、だいたいなんにせよ上からの命令とか規制とか大嫌いなので規制してくれなんてはなから思わねーし、とりあえずできることといえば、自分の周囲の大切な人たちや可愛いと感じるガキどもやらの話を聞く程度だ。
聞かせておくれよ。とりたてて素敵なアドバイスはできないが。話せば楽になることもあるかもしれないし。

大きなことはできないが、身の回りの人を愛することはできるし、その人のためになら泣くことも怒ることも場合によっては殺されても悔いはしないよ。でも痛いのは嫌なので拷問はしないでね。即死で頼むぜ。

誰にだってそういう身近な人がいるはずなのに。
どうして届かなかったのだろう。

せめて自分は身近な人の声が届くところに心を置いておきたいよ。
自分の大好きな人たちの心も、届く距離にあってくれればいいのになと願うよ。

そこにそんなに差はないように思える。どんな人間のどんな罪もまったくの他人事ではないように私には感じられるよ。