SPEEDBOY! (講談社BOX)

SPEEDBOY! (講談社BOX)

マイジョウ。背中に毛が生えてて人間だけど遺伝子的にちょっと別な生き物なのかもしれん若人たちが音速を超えて走る話。なんじゃそりゃ。でもそういう話。普通にただ走ってて音速超えるしソニックブームで周囲の窓ガラスがうわあああんって割れてしまうしイルカは死ぬし。でも走るのが好きなんだね。そりゃあ自分の身体ひとつで音速超えるほど走れるのなら走りたいよな。
大島弓子さんの漫画で短距離走者がどんどん速くなる漫画なかったっけ。周囲があり得ないって言うんだけど、でも「あり得」ちゃって人類としては未踏の境地に達してしまうエピソードが。それを思いだした。
自分の限界値を定めてしまうのは周囲の大人たちと過去のタイムレコード。でも若人はそんな基準をやすやすとクリアするんだぜ。
なんだよじゃあクリアしたらいいじゃん。頑張れ若人。音速で。
そしてそんな話なのに全体像が重苦しいのだ。なにかをとても怖がっている感じ。他人とふれあいたいというか、自分のなかのバケモノを怖がっているのかもしれんし、なんだろうこれ。そういうネタ?
せっかく音速なのだが彼らは速く走る以外にはなにもできないみたいだ。ミサイルより早いのでミサイルを止めることができるらしいが、戦闘系。まあ走ったらガラス割れたりイルカ死んだりするなら平和のために走るにもぬるいんだろうな。ミサイル止めとしてしか平和に使えないのか。宇宙まで走りぬけたりできないのかな。
思うに「生きていくため生活に使えない技」は優れてても肩身が狭いね。話のなかの若人たちは「この技でなにかできないのだろうか」という発想はなく、ただひたすら走っていた。そこが私には妙にまぶしく思えた。走ればいいじゃん。そのうちなにかいいことあるよ。
で。
そのうちなにかいいことあるよと思わんと、まっすぐに年を取っていけないんだなと「私は」思っているんだなということが、この本によりいまわかった。前向きに。いいことばかりはありゃしない。でも生きてるだけで、充分に、素晴らしいことなんだぜ。いつかいいことあるんだぜ。いつか。呪文。