杉井光さんの「神様のメモ帳」を読んでて、そして転勤する友だちとのいってらっしゃい食事での会話の流れなどが頭のなかで加わって(酒を飲んで記憶をなくす人間が大嫌いとヒートアップして語られ、勢いに驚いたので。友人本人が下戸なので、酒飲み全般が薄気味悪いらしい……)、名前も知らない(知ってたけど忘れた)アル中のおっちゃんのことを思いだした。
個人商店で期限切れで廃棄する弁当をもらって、私に分け与えてくれたおじさん。「まだ食えるよ。腹壊したら行ってくれたら、俺があの店に文句つけてやるから大丈夫だ」と胸をはってたおじさん。もちろん弁当で腹など壊さない丈夫な私。道端で会ったら挨拶をして話をする関係だった。でも何度も何度も深夜に救急車に運ばれ、あるいはアパートで暴れて近所の人が警察を呼んだりして、気づいたらいなくなっていた。
妙にアル中の多い街だなと思ってたら、すぐ近所に断酒施設があったのだ。断酒施設で過ごして少しよくなると近辺の安アパートで暮らしはじめるけど、だいたいひとり暮らしになると酒に手を出し、最終的に入院するかあるいは命をなくしてしまって街のなかから消えていく。
もちろんちゃんと断酒できておうちに戻る人もいたんだろうけど、少数だったんだろうと思う。
断酒施設に入れられた時点で、家族たちに迷惑をかけ、家族から縁切りされて追い出されたようなものだったからだ。それは本人たちの語りを信じるのならば……だが。「もう家族なんていないんだ。田舎に戻りたくても、戻れる田舎が俺にはないんだ。ひどいことして迷惑かけて、縁を切られてしまったからな」と語っていた言葉を信じるなら。
酒がはいってないときは善人だけど酒がはいると人が変わる。シラフのときでも目つきがやっぱり他の人と違うことがある。けど私はそれが嫌だとは感じなかった。感じなかったから、話したし、弁当もらったんだよな。
私とそのおじさんとのあいだに、差異はなかった。と、私は思っている。私はアル中ではなく、たぶんアル中には今後もならないだろう。酒に対しての執着はまったくないので。でも、もしかしたら自分だってアル中になったかもしれないじゃん……とも思って生きている。酒を飲むことは好きだ。匙加減。

アル中が酒に救いを求め安らぐように、ある種の人は物語に癒され救われる。
神様のメモ帳」のなかの一部には、アル中にとっての酒のような、ある種の物語中毒の人が求めるなにがはいっているように思うよ。だからといってそれがないと人が暴れだしたり、手が震えたりするかっつーと、そんなこともないわけで、じゃあ中毒じゃないじゃんて話だが。

人によって違うだろうが、物語のなかや、テレビのなかや、歌のなかに「それ」があって、適度に「それ」を摂取することで、まあいいや生きていこうと思って育ってきた子どもが一定数いると思う。私も含めて。私はその子どもの成れの果ての大人なんですがー。

特になにがいいたいわけじゃない自分メモ。

子ども時代は大変だなってことが結論(え!?)