そして今日はツナ缶を開けてなぜかそのまま流しに中身を捨ててしまった。落してないけど捨てた!!
落ちものがなくなったけど捨てものになった!! いやー。
その瞬間、自分の頭と身体がなにを考えて行動したのかが自分でもわからない。缶のなかに半分残ってたのでそれを食べました。捨ててしまったものは回収しようもない状態になっていたので泣きぬれて「さようなら」をしました。悲しくなったのでインスタントコーヒーをいれて、いま、小休止してこれを書いている。
そのとき考えていたのは酔っ払いというのはどうして酔ったときのことを覚えてなくて、もしくは自分にとって都合のいいことしか覚えてなくて、人を苛立たせるのかということについてだ。酔っているときに言われた言葉に対して、自分が傷ついたと伝えると、相手にとって都合のいいニュアンスでだけ記憶に残り、結果、喧嘩をしてもなにひとつ伝わっていないということを経験して、相手が酔っているときには言い返さないし、傷つけられた部分については指摘しないようになった。そして酔いがさめたあとで伝えても、結局、相手は覚えていないことが多いのだと知るにつれ、酔ったときの言葉は問い詰めず不問にしようと心に決めた。決めたが、それでも私のなかには澱のように溜まっていくのだった。
せめて自分は、からみ酒ではない、気持ちのいい酔っ払いになりたいと思う。
酔っ払いはどうして仕事や家庭のことを説教したがるのだ。なぜ!?
そしてどうして説教したり、批難したりしたその口調や言葉を言った側は都合よく変換しているのだ。そんなことはなかったかのような!! ああ、そのすべてを録音してシラフになったときに聞かせてやりたい。
むかーーーーーーーっ。
と、ここに書いたので「まあいいか」と気が晴れた。